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「町がこうして残ったのには一人の日本兵の存在があった」16〜19世紀のスペイン 植民地時代の家並みを残すビガン石造りの古めかしい市庁舎で秘書の一人は未完 成の著作の一部を開きながら語った。
 保存区域のクリソロゴ通り。白い石畳に照りつける太陽が乱反射し、ジリジリ焼かれる ようだ。パカッ、パカッ・・・・。馬車のカレサが蹄鉄の音を響かせて通り過ぎる。家の中 は、薄い貝殻を使った中国風格子窓が陽射しを和らげ、驚くほど涼しい。スペイン、米 国、日本の支配を見守った石壁は威厳を保ち、トライスクルやタクシーの甲高い音エン ジン音さえ包みこむかのようだ。日本占領下の1943年7月、ルソン島中部バギオ市 から、将校がビガンの指揮官として赴任した。フィリッピン人の妻アデラと二人の幼い 娘を連れていた。
 「アデラは映画スターのように美しく、すらっとした日本兵とお似合いだった」とアデラの 同窓生。将校は住民と打ち解け好感を持たれていた。だが、当時を知る一人の医師 は「日本統治時代はひどい時代だった。食べる物もなく、私は意味もなく鞭で打たれた 事がある。向こうの丘では多くの坑日ゲリラが首を切られ処刑された」と話し、決して平 穏ではなかったと強調する。
 戦局が悪化した1945年1月、将校は苦渋の選択を迫られた。第14方面軍司令部より 拠点都市からの退去と破壊命令がおりたためだ。将校は親交が深かった神学校のド イツ人神父を訪ねた。「アデラと娘をかくまってくれ」と涙を浮かべて懇願したという。こ の時神父が「街を破壊しないなら家族を守る」と交換条件を出した。地元歴史家は「将校は町の中心のブルゴス広場に、白旗を掲げるように告げた、直後 に飛来した米軍機は白旗をみて空爆を避けた」と指摘する。アデラが夫に街を守るよう に頼んだとも伝えられる。フィリッピンの他の都市が破壊されたにもかかわらず、ビガン は昔のまま残った。将校は退却後に戦死したと言われる
ガンは南シナ海に面したアブラ川(メスティーソ川)河口の中洲という立地
条件から、古くから中国大陸との交流があった。1572年、フィリピン初代総督レガスピーの孫サルセドが発見。町の名前はビガンと呼ばれる植物からとられた。ルソン島北部の拠点としてスペイン風都市計画に基き、西欧、中国、フィリピンの建築様式が混在する家屋が狭い路地を挟んで並ぶ独特の町並みとなった。現在約180軒ある石造りの家のほとんどは18〜19世紀の建築。本来は1階が石造り、2階が木造という造りだったが、相次ぐ大火で2階も石造りにした家が多い。
 1999年に世界遺産に登録され、老朴化した家屋の修復作業は始まったばかりである。
世界遺産に登録されている「プエルト・プリンセサ地下河川国立公園」は、パラワン島中部プエルト・プリンセサ市から南東約80キロのサバンにある。マニラ国内空港から同市までジェットで約1時間の空の旅。そこからは約40人がぎゅうぎゅう詰めになった大型のジプ二ー(ジープを改造した庶民の乗合バス)に揺られて3時間以上、深い緑とコバルトブルーの海に囲まれた農村地帯に同公園はある。この公園が世界遺産に登録された理由は、特殊で多様な地形とそれに伴う多彩な生物層。特に中央部を貫く石灰岩大地は、白い切り立った崖のわずかな土壌に張り付くようにして樹木が生い茂っている。まるで巨大な盆栽のようだ全長約10キロ海岸までそれは続いており、高さが約千mに及ぶ地点もある。

最大の見せ場は全長8.2キロの洞窟とそこを流れる地下河川。石灰岩台地の下に1千万年以上の年月をかけて形成された。洞窟の入り口周辺は無数のツバメが舞い「キ、キ、キ、ピ、ピ、ピ」という小さな鳴き声が騒がしい。巨大な岩が牙のように垂れ下がり「奇岩城」を思わせる。救命具とヘルメットを身に付け10人乗りのボートに乗り込む。洞窟内部は広いところで幅が約50m、天井は一番高いところで約65mに達する。広大な空間内は岩が自然に溶けて創り出した、様々な自然の「彫刻」のオンパレード」である。

「彫刻」には名前が付けられたものもあり、高さ約20mの「キャンドル」や幅4mはある「マッシュルーム」聖母マリアと夫のヨセフ、幼児イエスが集まっているようにみえる「ホーリー・ファミリー」など見ていて飽きない。岩石に含まれるカルシウムがにじみ出て、黒茶色に染まった岩が積み重なっている場所は「スモーキー・マウテン」一直線の回廊が約200m続く水路は「エドサ・ハイウエイ(首都圏を横切るフィリッピン最大の大通り」その天井には真っ直ぐな線が走り「MRT・・首都圏高架鉄道・・」と名付けられている。首都圏の住民がみれば思わずうまいとうなってしまいそうだ。ある観光客は「神の創造物」と洞窟を絶賛した。残念ながら観光客は1キロまでしか内部に入れない。

マニラからプエルト・プリンセサ市まで、フィリッピン航空とエアーフィリッピンがそれぞれ毎日一便を毎日運航している。所要時間は1時間10分。時間に余裕のある方は船も出ている。
プエルト・プリンセサ市から同公園内のサバンまでは車で約3時間。
サバンから洞窟の入り口まではボートで約10分だが、ジャングルを歩いても良い。
但し、約2時間はかかるので健脚でない方はやめたほうが無難。

棚田」と聞くと日本の「段々畑」を想像するがスケールが全然違う。 城廊の石垣を連想させる石壁が百段以上も重なり、上部が雲を被っている 様子は神秘的とすらいえる。「天空への階段」と称される所以だ。

約2千年前から作り始められたといわれているが、その起源は今でも定かではない。「世界7不思議の一つ」にも数えられている。

 ここバタッド地区にくるには、山道を約2時間歩かなければならない。時間に余裕がなければ「トライスクル・サイドカー付きオートバイ」やジプニーを利用することもできる。電気もない不便な地区だが、年間6千人の 観光客が訪れる「一大観光地」となっている。この日,さらに山奥にあるカンブロ地区へ足を延ばしてみる。棚田伝いに徒歩で3〜4時間はかかるという原住民のイフガオ族のガイドと棚田目指して出発した。 近くに来て驚いた。一つ一つの棚田の石垣は高さ2〜3mはある。畦道は 直径20〜30cmの石が並べてあるだけ。上の段に上がるには石壁から突き出ている足場を伝ってよじ上る。

 雨期には足を滑らせる人が多くて「酒に酔ったイフガオ族は必ず泥だらけになってしまう」という。このあぜ道では馬さら使えない。バタッドでは食料から建築資材まで輸送はほとんど人力にる。70kgのセメントを担いであぜ道を歩く人もいるそうだ。あぜ道と山道を歩くこと3時間。カンブロ地区に到着した。人口はバタッドの約半分、500人位。トタンぶきのホテルも2軒ある。
  高床式の建物は教科書で見た日本の縄文時代の家屋そっくりだ。柱の床下部に「ネズミ返し」と言われる鍔状の大きな板がついているところまで同じで一辺約2.5mほどの正方形の室内は、いろりで火を焚くと驚くほど暖かい。木造のためトタンぶきのホテルと違って保温効果も高いのだろう。

          

パラワン島中部プエルト・プリンセサ市から南東に約150キロ、ボートで およそ10時間。約24万2千平方キロメートルに及ぶ広大なスルー海の 真ん中に総面積わずか332平方キロメートルの、二つの岩礁からなる 国立公園がる。

1993年にフィリピンで初めて世界遺産に指定された 「トウバタハ岩礁海洋公園」だ。同公園の管理人はトウバタハの魅力を「とにかく野生にあふれている」と表現する。これまでに海中では約350 種に及ぶ珊瑚、400種近い魚、イルカや鯨などの海洋哺乳類8種にウミ ガメ2種、海草や藻類が約80種、地上では約15種の海鳥が発見された。「ここだけでしか見られない種が生息しているわけではない。

   しかし、 海洋生物の豊富さはずば抜けている。スルー海に生息するほぼすべて の魚をここでは見ることができる・・といっても過言ではない」と語る。例えばサンゴを例にあげると、国内に生息する83%をトウバタハで見ることができる。毎年のように新しい品種が発見されており、2001年5月に行われた最新の調査では81種が新しく発見された。そのうち29種はフィリピンでこれまで生息が報告されていなかった品種。希少種2種の 生息も確認されたという。

二つの岩礁は海鳥やウミガメの貴重な産卵地でもある。ウミガメは国際的な権威機関、国際自然保護連合(IUCN)に絶滅が危惧されている種として指定されているアオウミガメとタイマイの2種で、海鳥はフィリピンでこれまで見つかっている種の内約4割を見ることができる。 環礁は北半球と南半球を行き来する渡り鳥が羽を休める場所にもなっており、これまでにIUCNが絶滅危惧種に指定した2種の飛来が報告され ている。

 
約400年間のスペインによる植民地支配の歴史をもつフィリッピン。スペインは植民地化を円滑に行うため、カトリック教の浸透を図り、各地 に教会を建設した。中でも極めて珍しいバロック様式石造教会としてサン・オーガスティン(マニラ市)パオアイ(北イロコス州パオアイ町)サンタマリア(南イロコス州サンタマリア)ミアガオ(イロイロ州ミアガオ町)の四ツをユネスコは1993年に世界遺産に登録した。

フィリピンで 最初に作られ現存する教会では最古の、サン ・オーガスティン教会重厚感漂う歴史の流れを見守ってきた石造の教会だ。スペイン語で 「壁 の中」を意味し、周囲約4キロの城壁で囲まれたかつての城塞都市イン トラムロス地区。連日、国内外から多くの観光客が訪れる。同地区の北西端には、スペインがフィリピン支配の軍事拠点にした、サンティアゴ 要塞、北端には総督官邸があり、「イントラムロスの心臓部」と称された サン・オーガスティン教会(敷地面積約2ヘクタール)は西端中央にある。 どっしりと した重厚感が漂う外観。風雨もさることながら大地震にも耐えた 強靭さを感じる。傷みが激しか った部分をセメントで 塗り固めて補強した為に、正面支柱は白色で外壁 はクリームと模様変え している。華麗なバロック様式 をふんだんにあしらった教会内部とは様相が異なる。

教会の大きさは幅約25m、奥行き約70mで 縦長の構造。中に入るとドーム状の天井(高さ13m〜25m)イタリア人画家が 描いた浮き彫り壁画やきらびやかなシャンデリアが目を引く。12ある礼拝堂には天使があしらわれ、様々な曲線や曲面が壮麗に刻み込まれている。教会の歴史は16世紀にさかのぼる。マゼラン提督率いるスペイン艦隊がセブー港に来航してから44年後1565年オーガスティン修道会は、スペイン の植民地であったメキシコからマニラの地に入った。時のスペイン国王がフィリピンを拠点に、日本や中国などアジアでのカトリック教の布教活動を任命、レガスピー遠征隊の植民地化政策に追随する形となった。当初、教会は竹やニッパヤシ、木材で建てられた。

 しかし、中国人海賊による急襲 や相次ぐ火事で何回も損壊した為、植民地政府はメキシコの建築様式を 取り入れ、フィリッピンの風土に適した「自然災害に耐えうる教会」を建造する決定を下した。1587−1607年の約20年かけて、現在見られるような教会と修道院が完成した。石と共に石灰などを混ぜた赤レンガが組み入れられ、大地震に見舞われてもその揺れによってずれ合うことでより強固に なる仕組みになっている。以来、マニラを荒廃させる地震に数回襲われた が一部の損壊で済み、全壊の危機は免れたのであった。「永遠の奇跡を 起こす石造りの教会」約400年の歴史を持つサン・オーガスティン教会について記録した書物にはそのように記されている

『ビガン歴史地区』

『コルディリアの段丘水田

「トウバタハ岩礁海洋公園」

サン ・オーガスティン教会

「プエルト・プリンセサ地下河川国立公園」

フィリピンの世界遺産

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