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マニラミッドタウンホテルというより私達は、一昔前の名称『ラマダホテル』と呼んでいました。
下の地図にあるロビンソンデパートは今の3分の1しかなくて、この『ラマダホテル』の駐車場となっていました。
私は1981年が初渡比なのですが、10回目の渡比位でこの『ラマダホテル』に泊まりました。以来80回以上、560日ほど宿泊したホテルで、この2002年に閉鎖し暫くそのままでしたが2004年から解体が始まったようです。
なんとも残念で仕方ありません。
私が独身時代の楽しいウキウキする時を経て、フィリピン人と結婚、娘が生まれそんな我が家の渡比の歴史がたっぷりと詰まった思い出のホテルでした。
15回目位にチェックアウトで料金を支払っていると、ホテルのゼネラルマネージャーが私達家族にファミリーカードを作って、次回からこのカードを提示して貰えば一泊800ペソで泊まれます。その他色んな特典が付いた便利なカードでした。予約無しでも何時でもチェックインが出来るものでした。普通に宿泊すると65ドルだったので約半額で泊まれました。しかも特別にセミスゥィートルームをいつも提供して貰い、スタッフ達には感謝しています。私達がチェックインのために入り口を入ると顔馴染みのスタッフから必ず『WelCome Back』(お帰り)と言われると本当に自分の家に戻ったような気分になりました。
そして、20数年来の我が家のガイド兼ドライバーとこのホテルの1階のコーヒーショップ『サボガン』のコーナーのシートに座ってコーヒーを飲みながら何時間でも過ごす事が出来ました。2人で日本人や、外国人を眺めながら過ごすのが好きでいつまでも座って時を過ごしたあの日がとても懐かしく思い出され、アルバムを見るたびに胸が締め付けられる寂しさを感じるこの頃です。
2001年このガイドも脳梗塞から右半身が麻痺し、更に持病の糖尿病から2003年引退し、生まれ故郷のビコール、レガスピに帰ってしまいましたが2007年3月に永眠してしまいした。
このガイドは初のマニラ旅行の時にひょんな事から知り合い、以後26年お世話になった人物で、お金をごまかしたり、要求したりは一切ありませんでした。家族ぐるみの付き合いで自宅にも毎回招待され食事をご馳走になる様な間柄でした、
高血圧で糖尿病が持病でしたので、いつも気をつけるようにといっていたのですが60歳代でまだまだ若いのに見た感じ、75歳以上の好々爺となってしまい、とうとう2004年に田舎に引っ込んでしまいました。
チャイニーズ系の顔をしていて、私がどちらかと言えば南国系なので、日本レストランに入ると、私にタガログのメニューで、彼に日本語のメニューが毎回渡されるのでいつの頃からか、お互いになり切ってオーダーしていました。
この『ラマダホテル』では娘が6ヶ月目から泊まっていて、2歳位にはホテル中を子供の三輪車で遊んでいても何も文句は言われず、娘もエレベーターで間違ったフロアーに下りても直ぐに電話で教えてくれ、あんたの子供は○○階にいると必ず知れらせてくれとても安心できるホテルでした。
何回か娘の誕生日に2階にあるレセプションルーム(宴会場)でパーティーを特別料金でやってくれサービスでビデオカメラマンをつけてくれたり、大きなケーキを作ってくれたりと便宜を図ってくれました。
このほど私達のふるさとみたいな『ラマダホテル』が消えるというのは思い出も消えてしまうかのような不思議な気持ちで、胸が締め付けられる思いです。
跡地ですが、ロビンソンによって分譲マンションに生まれ変わるそうですが、写真とともに私達家族にはいつまで心に仕舞って置きたいと思います。
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